- 2012/05/17(木) 16:22:13|
- 医学的な話題|
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35年近く前のことだが、医師になる少し前、蘇生の講義で『蘇生のABC』を学習した。ABCとは初歩を象徴する意味ではなく、Airway、Breathing、Circulationの頭文字をさす。こうしたやり方は英語圏の文化にはよくみられる。いくつか例をあげてみようか。プログラミング用語でOOPSというのがある。これは、日本語では『おっと失礼』というような意味のオノマトペアだが、どういうわけか英語圏のプログラマーはObject Oriented Programming Systemという革新的な概念をあらわすのにこのウープスを使った。
ついでに言えば、このOOPSは機械工学の世界ではOff-Line Operating Simulatorの頭文字だ。これはライン外作動シミュレーターをさす。Dot は通常格子点とか単に点、ドットを意味する単語だが、これもDOTと全部大文字で書いてDepartment of Transportation (運輸省)、Deep Ocean Technology (深海技術)、Designating Optical Tracker (設計用光学追跡装置)などの略語がある。同じ意味をもつものでも、既知の単語をこじつけてしまおうと言う傾向が分かる。
これはアングロサクソンの民族性かと思うが今回の話題はフレーズをどう変換するかということではなく、蘇生のABCそのものだ。まず気道を確保し、人工呼吸をして、三番目に心臓マッサージで循環を維持する。そういう手順として習った。しかし、最近では最初に心臓マッサージをしたケースの方が生存率、社会復帰率ともに良いということで、蘇生のABCという言い方をしなくなった。少なくともAがAirwayでBがBreathingで…という教え方はしない。
では蘇生のCとでも言うのか。そうは言わないので、単に蘇生というか、あるいは蘇生の際に最初にやるべきことという意味でABCというか、どちらかだろう。
医療に従事しない方々へ
戸外で倒れている人がいて、呼吸をしていない、脈を触れない、そういった際になすべきことは何か。これは人それぞれ、意見が分かれると思う。自分の親しい人が倒れたら、できることは全部しておこう。しかし、他人に対して何をするか。その人の素性が分からない。感染症のリスクを背負い込むのも考え物だ。
何もしなくても法に触れることはないかもしれない。そうは言っても、社会の中で自分が生きているという自覚があるのであれば、救急車を呼ぶとか、何かしよう。多分人間は社会の中にあってはじめて人間なのだ。しかし、心臓マッサージをして肋骨が折れたとか難癖をつけられて訴えられる可能性もあるので、実際の蘇生はしない方がいい。本当は、心臓マッサージをしてあげた方が助かる可能性は格段に高くなるのだけれど。
アメリカは訴訟社会で、濡れたペットを電子レンジに入れて乾かそうとしたら死んじゃったといって、メーカーが訴えられたとかいう話も伝わってくる(これは作り話らしい)が、素人が心停止を起こした人に心臓マッサージをして救命できなかったからといって訴えられるなんてことは絶対にない、仮に肋骨が折れていても。本邦の裁判事情を見聞きすると、この国では訴えられるかもしれないと思ってしまう。いやな世の中だ。
- 2012/05/16(水) 16:28:08|
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先に、「警察官は市民を守るか」で千葉県警の不祥事について言及した(http://transcription.dtiblog.com/blog-entry-210.html)。もし警察が市民を守るつもりがないのなら自己防衛しなくてはならないだろう。自己防衛といっても、家庭内に自動小銃などを持ちこむとか、お隣さんとのいざこざにそのような小火器類を持ち出すとかいう意味ではない。
S.A.S.というのがある。英国の対テロ強襲部隊の名前であり、同時にS.A.S.の活躍を描いたTVドラマの題名でもある。ご覧になった方もいるのかもしれない。そのS.A.S.のメンバーの一人が『S.A.S.都市型サバイバル』という本を出している。そのほかにサバイバル・マニュアルだとかいくつか出しているのでお読みになった方もいるだろう。
その本の中に、一人暮らしの女性にとってかなり参考になりそうな記述がある。一つは通勤・通学の経路を一定にするなということ。それから消してきた自分の部屋の電気が、帰宅時に点っていたら部屋にいきなり入ることをせず、家の前の通りを二往復ほどして観察、そして部屋に(電話があれば)電話してみる。そのほか、急病時の処置だとか、さまざまなことが書いてある。そしてかなりの部分は武器の携行が認められていない本邦でも役に立つ。
それに、夜道で襲われた時など『助けて!』と叫んでも誰も出てきてくれないが、『火事だ!』と叫べば必ずわらわらと人が出てくるとか、そういった話は本邦でもよく聞く。そのS.A.S.の著者は相手への攻撃を薦めていない。相手が逆上してより凶暴になることが多いからだ。要点は相手と実際に近距離で対峙する事態になることを避けよということだ。最初からこちらが暴力的な面で優勢でない限り、攻撃はしないこと。私もその意見に同意する。
暴力的な面で優勢とはどういったことか。たとえば襲われる人が武道や格闘技の高位有段者だとか、襲われる側が大勢いて分担していろんな反撃ができるとか、そんなことだ。そしてそういった場合、害意をもつ人物もまず襲ってこない。もっとも武道や格闘技の達人の場合、それらしく見えないこともある。
学生時代の話だが、某大学のフェンシング部の女子部・部長と知り合いだった。女の子にしては長身で立派な体格をしていたので『おめえなんざ、痴漢の心配はあるめえ』などとひどいことを言ってからかってたのだが、ある日とても晴れやかな顔をしている。その訳を聞いたら、前夜痴漢(襲ってきたので暴漢というべき?)にあったそうだ。細く巻いたこうもり傘(まるで英国紳士みたいだ)で反撃して、ほっぺたを貫いた。相手は両方の頬を手で覆いながら逃げて行ったとのこと。
彼女は最初目玉を突こうかと考えたそうだが、いくらなんでもそれでは過剰防衛の誹りを受けると考えて、ほっぺたにしたそうだ。誹りを受けるのではなく刑事罰を食らうでしょう、それだけのことをしたら。「ただでえくぼを作ってあげた」などと言ってたが、そのあと相手はどうしたんだろう。病院に行かざるを得なかったと思うのだが、どう負傷の原因を言い繕ったのか、私にはそちらの方が気になった。
ちなみに暴力的な優位性とは、いま述べたような意味だ。
- 2012/05/15(火) 16:44:11|
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夏目漱石がその作品『草枕』の中で羊羹について言及している。以下に引用してみよう。
…あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。…
今、わが国で羊羹をはじめとした和菓子を好む人の割合はどの程度だろうか。私の実家では全員が好むが、私の配偶者、そして子どもたちは和菓子を食べない。桜餅など、時として食べることはあるが、基本的に生クリームをたっぷり使ったやつを好む。
私は加糖生クリームが苦手で、わずかに口に入っただけで、食欲が減退してしまう。だから、洋食のコースなど食べに行くときにデザートとしてチーズの盛り合わせを頼むことが多い。洋食のデザートはチーズ以外ほとんど生クリームを使っているからだ。
和菓子は何でも好きで、特に羊羹は見た目にも美しいし、楽しいものだ。ただし、私は漱石と違い、大いに食いたい。上に引用した部分の少し前に、『別段食いたくはないが云々』という文章があり、彼はひたすら眺めて楽しむ嗜好の持ち主だったようだ。
羊羹にもいろんな種類があるが、私の好みは味がこってりしたものだ。だから水ようかんなどは好まない。とらやの羊羹など私の好みにぴったりだったのだが、最近あのこってり感が減じているように思う。今の好みに合わせるとこうなるのか。少し気落ちしていたが、とらやショックの後に岡山県で作っている古見屋の練り羊羹がとてもこってりしており、しかも安い。すっかり気に入ってしまった。
いかにしてこの店を知ったか。前任地で手術室の師長が『このしつこい羊羹は食べられない。先生だったら食べられるかも…』といったいきさつで古見屋羊羹製の『田舎羊羹』を半分ほどいただいたのがきっかけだ。しつこい羊羹だから食えるだろう思われていたとはちょっと微妙な気もするが、ありがたい情報をもらったと喜んでいる。味の濃い羊羹が好みの方は要チェックだ。
- 2012/05/14(月) 23:42:42|
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カナダにいるころ、現地の友人(非医療系の仕事をしていた)から、虫垂炎を専門用語で何と言うのかと聞かれたことがある。Appendicitis vermiformisというラテン語名が頭に浮かんできた。学生時代に覚えこまされた言葉だ。こうした言葉は英語からも類推できる。appendixは英語だが、本の後ろについている補遺とか付録とか言う意味だ。後半のitisは炎症を表す接尾語。
vermiformisはvermとformに分けて考えるとわかりやすい。Vermは英語のwormの語源だろうと見当をつける。Formisはもちろんformで、形という意味だ。臓器の概念は医学の発展と関係なく不変だから、今後変わることのない言語(つまり死語)であるラテン語を使うと言われたが、ただ単なる衒学趣味ではないかとも思う。しかし、その話は別に、ラテン語はいろんなところで英語の語源を提供している。
鼻水はrunning noseという一般的な言い方があるけど、医学書をひも解くとrhinorrheaと書いてある。こんな言葉はカナダの大学卒の人でも知らない場合が多い。でも下痢はdiarrheaという。Loose bowelsという一般的な言い方もあるが、diarrheaを使う人もいる。
だから、欧米の文化圏で、鼻水をrhinorrheaというと、「ああ、なるほどね」と了解する人も、もちろんいる。しかし一般的に言って、英語のほうが日本語よりも専門用語でも日常用語と同じ単語を使う頻度が高いという俗説は嘘だと思う。ときどき向こうの友達と病気の話をしていて、こちらは専門用語でしか疾患を描写できなくて、テクニカルタームを使うと嫌な顔をされた。
心臓の病的状態が原因で急激に具合が悪くなるのは、我々に言わせれば、弁疾患の代償不能状態になったか、急性心筋梗塞か、あるいは血栓などを原因とする急性右心不全などを考えてしまうが、一般にはheart attackの一言でくくられる。まあ、人が目の前で胸を押さえてひっくり返ったときに、原因を考えて救命のために何をしたらいいかという反応は普通にはない。
これはほかの分野でも言えることで、その言葉の壁が個々の分野へのわれわれの興味をブロックしているようにも思う。その意味ではテクニカル・タームの使用はほどほどにしたほうがいいし、略号の使用はより厳しく制限したほうがいいだろう。
- 2012/05/13(日) 19:27:27|
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日本の警察は優秀だ、昨年の巨大地震・津波の折も国民の安否確認などをちゃんとやっていた、私はこのブログで昨年そう記した。そのURLは
http://transcription.dtiblog.com/blog-entry-13.html
だ。確かによくやっている、そう思えることは多々ある。いまでも我々が安全だと思っているその背景に警察官の地道な活動があるのは間違いないだろう。
一方、千葉県警がストーカー被害届の受け取りや迅速な対応がなかったために二人の人命が奪われたということが先日取り上げられていた。そしてほぼ同時期にお隣の大国で、女子高校生が暴行され、半死半生で倒れているのを警官たちが確認しながら、管轄外の隣村に捨てに行ったというニュースを目にした。
一部、日本の警官にも無責任な輩はいるだろうが、ここまではしないだろうと思った。しかし、職務にあたって、どのようなスタンスで臨むかということに関しては千差万別、個々人によって大きく異なる。これはどの職種によっても同様だ。医師、歯科医師の中にもお金や愛憎が絡んで人を殺した奴がいる。警官が婦女暴行目的で若い女性を殺したという事件もあった。
どの集団も一定の価値観で共同行動をとるということは、現代の一応民主的な国家といえるところでは、ありえないだろう。戦前だったら本邦でも鬼畜米英だとか物騒なスローガンをがなりたてて国民を一定方向へと誘導した事実がある。現代ではお隣の物騒な国がそれをやっているように見える。
したがって、警察官の中にも犯罪者的な素因の持ち主はいるだろうし、その逆に滅私奉公する人もいるだろう。そうしたバラツキはすでに幼児期に認められ、すでにそうした観察事実も報告されている。たとえば幼稚園児を観察すると、一割前後の子供がリーダー役になり、全体をけん引する。そして割と多くのメンバーが怠け者だ。その一割のガンバリ屋をグループから外すと、そのグループにまたメンバーの一割ほどのガンバリや集団が出現するという。
同様の観察事実はミツバチやアリの集団でも観察されているらしい。しかし全般的に見て、警察官の職務に対するスタンスはやはり問題が目立つように思う。神戸でも警官の見ている前で暴力団員が市民に致死的な暴行を加えたという事件が報道された。この国全体が国家として崩壊しかかっているのだろうか。
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